AFTER SCHOOL SHELF
通知が怖い
鳴らないでほしいのに、鳴らないと少しだけ怖い。朝比奈夜の放課後棚、第1話。
SCENE
雨の日の部屋
夜の部屋。机の上に伏せたスマホ。通知の光だけが青白く壁に反射している。窓の外は雨。朝比奈夜は白半そでシャツと紺色のスカートで、画面を見ないまま指だけ伸ばしている。
雨の日は、通知の音が少しだけ大きく聞こえる。
窓の向こうで水滴が細く流れていた。部屋の灯りはつけているのに、机の上だけが青白い。スマホは画面を下にして伏せてある。見なければ何も始まらない、という置き方だった。
朝比奈夜は椅子に浅く座ったまま、指先を机の端に置いていた。白い半そでの袖口が、冷えた腕に少し張りつく。帰ってきてから鞄も開けていない。ノートの角がファスナーの隙間から少しだけ見えていて、それもまだ今日のままだった。
通知は切ってある。ほとんど全部。
でも、全部ではない。
ひとつだけ残してある連絡先がある。顔を見たことはない。声も知らない。画面の向こうで、同じ時間に短い言葉を置いていく人だった。雨が降ったとか、パンを落としたとか、今日は少し眠いとか。どうでもいいことばかりで、どうでもよくないことばかりだった。
スマホが、短く震えた。
夜はまばたきをした。音は鳴らない設定にしてあるのに、震えただけで胸の内側が少し跳ねる。誰かに呼ばれた気がする。呼ばれたなら返さなければ、と思う。返さなければ消えてしまうかもしれない、とも思う。
正しい返事なら、いくらでも調べられる。
相手を傷つけない言い方。会話を終わらせない返し方。重く見えない返信速度。既読をつける前に考えること。どれも、画面の中にはたくさんあった。
でも、指は動かなかった。
画面を見ないまま、夜はスマホの近くまで手を伸ばした。光が指の腹にうつる。雨の音が、部屋の中の小さな沈黙をならしている。
「鳴らないでほしいのに、鳴らないと少しだけ怖い。」
口に出した声は、思ったより小さかった。誰にも届かないくらいで、でも自分だけには聞こえるくらい。
返事は早いほうがいい。遅いと心配させる。早すぎると待っていたみたいに見える。そんなことを知っているのに、いま欲しい言葉はどこにもなかった。
机の端に、古い栞が置いてある。青い紙に星の形の穴がひとつ空いていて、夜棚の奥で見つけたものだった。夜はそれをスマホの横に置いた。画面ではなく、栞を見る。
通知は、誰かの声みたいな顔をしている。
でも、声そのものではない。
夜はスマホを裏返さなかった。代わりに、机の引き出しから小さなメモを一枚出した。青いペンで、短く書く。
今日は、見なかったことにしてもいい?
送るための言葉ではなかった。誰かに見せるための言葉でもなかった。ただ、いまの自分がここにいることを、紙の上に置いておくためのものだった。
もう一度、スマホが震えた。
夜は少しだけ笑った。怖いのに、うれしい。うれしいのに、見たくない。そういう気持ちが同じ場所に座っていて、どちらかを追い出すことができなかった。
雨はまだ降っている。
窓の外の街灯が、水たまりの中でぼやけていた。部屋の青い光は、さっきより少しだけやわらかく見えた。
夜はスマホに触れた。
まだ、裏返さない。
ただ、そこにあることだけを確かめるように、指先で冷たい背面をなぞった。返事は、もう少しあとでもいい気がした。消えないものがあるかどうかは、見てから決まることばかりじゃない。
雨の音に混じって、遠くで電車が通った。
夜はメモの下に、もう一行だけ書いた。
明日、読めたら読む。
それだけで、今夜の部屋は少しだけ広くなった。
ANOTHER SCENE
もう一枚の余白
夏の夜、閉まったプール。紺色のワンピース水着に白いタオルをかけた朝比奈夜が、水面の青い光を見ている。通知のない場所なのに、静けさのほうが少しだけ大きい。
| # | 台詞 | 感情指定 |
|---|---|---|
| 1 | 鳴らないでほしいのに、鳴らないと少しだけ怖い。 | 小さな声。怖さと寂しさが半分ずつ。泣く直前ではなく、まだ自分で保っている感じ。 |
| 2 | 返事って、早いほうが正しいのかな。 | 独り言。答えを求めているより、自分の中の正解に迷っている。語尾は少し弱く。 |
| 3 | 今日は、見なかったことにしてもいい? | 紙に書くような声。誰かに許可を求めるけれど、相手は目の前にいない。やわらかく。 |
| 4 | 通知って、誰かの声みたいな顔をしてる。 | 気づいてしまった感じ。少し不思議そうに、でも寂しさを隠さない。 |
| 5 | 明日、読めたら読む。 | 最後の小さな決心。強く言い切らず、呼吸が少し軽くなる。 |